第1章 序論
1.1節 本研究の位置づけ
近年、量子光学における研究のひとつの傾向として、光の量子状態の制御や検出に関する研究が盛んになってきている。キーワードを拾ってみると、光のスクイジング、光子数のsub-Poisson分布、光子のアンチバンチング、量子非破壊測定などがある。このうちはじめの三つは新しい光の量子状態の発生の研究である。すなわち、振幅と位相が確定した古典的光に最も近く、基本的な量子状態と考えられていた「コヒーレント状態」に対して、それとは異なる光子数と位相の不確定関係を有する光の状態が存在することが分かってきた。この新しい光の状態としては「スクイズド状態」や「光子数状態」などがある。これらはコヒーレント状態の持たないいろいろな性質を持つ。たとえば光のスクイジング(ショット雑音以下への雑音低減)、光子数のsub-Poisson分布、光子のアンチバンチングである。また、前出のキーワードのうち最後の量子非破壊測定(Quantum non demolition measurement : QND measurement ; 以下本論文では{QND測定と呼ぶ)は初め重力波検出用振動子の極限的測定のために提案された。しかしQND測定は重力波検出にとどまらず一般的な重要概念であるため、QND測定そのものが研究の対象となってきた。QND測定が熱雑音によって覆い隠されないためには、量子力学的不確定さが熱雑音によって打ち消されないような状況が要求される。重力波検出用の機械的振動子は、極低温でない限り熱雑音が大きい。光は室温でも熱雑音がはるかに小さい。このため光でQND測定を行なおうという研究がなされるようになって来た。スクイズド状態も本来は光に限らず一般に電磁波、さらに一般のボゾン系で成り立つ話であるが、熱雑音が量子雑音よりはるかに小さいという要請から、光の分野で研究が進められている。
これらの量子光学の新しい分野の成長にともない、IQEC(国際量子エレクトロニクス会議)では1984年からスクイズドステートのセッションを設けている。1986年にはそのセッション数は二つになり、以後論文数は増加の一途をたどっている。またJOSA(アメリカ光学会の論文誌)では1987年10月号でスクイズドステートの特集に1冊を費やしている。この分野の特徴として、携わっている研究者の分野が多岐にわたっていることが挙げられる。たとえば光子統計、分光学、非線形光学、レーザー物理、光エレクトロニクス、光通信、電気工学、情報理論、量子通信理論、量子力学理論、重力波検出など、きわめて多様な分野にまたがっている。これは近年の科学の一般的傾向であるが、量子光学においてもその進展が単に狭い分野にとどまらず、他の分野との結びつきが非常に強いことを示している。
歴史的には光子の概念の明確化(第2量子化あるいは電磁場の量子化)[1][2]
と量子電磁力学[3][4][5]の完成を見、量子光学の理論の基本は早い段階に完成したと言ってもよい。実験的には電磁場の量子化を真に必要とする現象として原子の自然放出や水素原子のラムシフト[6]などがあるが、これらもすでに確立された話である。また光子相関に関するHanbury BrownとTwissの有名な実験[7]をはじめ、光子のアンチ・バンチング[8]など、すでに1960〜1970代に興味深い実験が行われている。
それにもかかわらず、近年量子光学の研究が再び活発になって来たのは、一つには前述のように他の分野との相互作用による有機的進展が見られるからである。また技術的にもキーとなる非線形光学の材料や実験技術が進展してきたことも一つの要因である。これにより、量子力学の正しさを受け身的に確認するのでなく積極的に制御するための技術的基盤が固まって来つつある。またこれらの分野は、理論的にも量子力学のより深い理解を促すものである。ショット雑音限界の克服とかある物理量に影響を与えずに測定する(QND測定)などの一見直観に反するような概念が、実は量子力学の帰結の一つであることが分かってきたということは、理論上の理解の進歩であるといえる。これらの分野は量子力学そのものを書き換えるものではないが、自然界には無かった新しい光の状態や測定法を実現するという意味で、またそのために必要な「光と物質の相互作用」は何かを解明するという意味で興味深い分野であるといえよう。
また、工学系の研究者がこの分野に取り組んでいることも目立つ。これは上記の現象がテクノロジーからかけ離れた場面にあるのでなく、いずれ技術上の課題になるという意識があるからである。例えば、光通信ではショット雑音と呼ばれる量子力学的雑音が通信の最終的な能力を決めるが、さらに通信の性能を上げるためには、Heisenbergの不確定性原理に抵触せずに量子雑音の影響を制御する必要がある。それを可能にするのがスクイズド状態やQND測定の研究である。
量子効果が明確に見えるためには、量子雑音が熱雑音によってマスクされないことが要求される。図1.1に熱雑音と量子雑音のエネルギーを比較した。これは電磁波の一自由度(一つのモード)が持つ熱エネルギーと真空場のエネルギーを周波数の関数として示したものである。周波数約4.3 THz(テラヘルツ)以下のラジオ波やミリ波では室温での熱雑音が大きいが、周波数の高い赤外、可視光では量子雑音に比べ熱雑音は無視できる。このことは、スクイジングやQND測定などの量子効果は電波領域では熱雑音により覆い隠されるが、光領域では隠されないことを示している。室温で熱雑音が無視できるボゾン系で、歴史的にも実験の伝統があるもの、ということで、光の分野でスクイジングやQND測定が研究されるようになってきた。(注:ここで言う熱雑音とは測定器系の熱雑音(たとえば電気回路の熱雑音)ではなく、被測定系の振動モードに分配される熱雑音を意味する。)
光のQND測定の研究は1980年頃に始まる。[9][10] しかし、当時の議論はQND測定を可能とするハミルトニアンの形は何かというものであったため、具体的なQND測定の系が提案されたわけではなかった。著者らは1985年に光カー効果を用いる具体的なQND測定系を提案した。[11] また、光カー媒質として光ファイバーを用いた系で実験的検討も始めた。[12] これをうけ1986年IBMでも光ファイバーを用いた実験が進み、量子相関を観測するところまで進んだが[13]、媒質の損失が大きいためQND測定と見なせる実験ではない。実際の光カー媒質には必ず光損失があるので、QND測定としてどの程度の損失が許されるかが問題となる。
ところがそれまでのQND測定理論では損失のない場合しか扱われてこなかったので、損失がある場合のQND測定の理論を確立する必要があった。1988年著者らは損失のある光カー媒質を用いたQND測定の理論を提唱した。[14] この結果、損失のあるQND測定の条件を求め、かつ現実の光カー媒質がその条件を満足することが分かった。
また実験的検討として著者らは光ファイバーを含む干渉計を構成した。そこでは上記の理論的結論とは別に、現実問題としてさまざまな解決すべき課題があることが分かってきた。おもな問題点は干渉計の安定化、光検出器の飽和の問題、光ファイバーの導波性Brillouin散乱雑音の三つである。このうち干渉計の安定化は、リング型干渉計の開発により解決に向けて大きく前進した。また光検出器の飽和の問題は、干渉計の構成の工夫により避けることが理論的には可能であるが、依然として大きな問題である。最後の導波性Brillouin散乱は干渉計の雑音の周波数特性をショット雑音限界にするのを阻む。そしてこれはファイバー構造を変えない限り避けることはできないと実験的に結論される。
本研究は上記のQND測定の分野における著者の研究をまとめたものである。
従って主題は光のQND測定の理論と実験である。しかしさらに、非線形光学実験系に量子力学を適用するときに一般的な問題点がある。この点についての一つの考察を行なった。本研究ではこれについても言及する。
その問題点とは次のようなものである。光のスクイジングやQND測定の理論的検討と実験的検討を対比してみると、そこに概念上の、あるいは描像の不統一が見られることに気づく。理論では光子数の「量子力学的不確定さ」という言葉を使う。これに対し実験では「量子力学的雑音」を観測する。前者は統計的アンサンブルに関する概念であるが、後者は時間的信号の概念である。不確定性と雑音の関係は何かということが疑問として生ずる。また、通常の量子力学の理論では、ある体積中での光の状態、あるいは不確定量の「時間的変化」を解析する。しかし実験では状態の時間的変化を観測するのでなく、ファイバーを伝搬する光の状態の「伝搬方向への空間的変化」が観測される。このような理論と実験の概念上のギャップは、基本的に通常の量子力学が「時間的発展」の方程式で書かれているのに対し、光の実験では多くの場合媒質中での光ビームの空間的発展を問題にすることに起因している。このギャップを埋めるためには理論の方から実験を適切に記述すべく歩み寄る必要がある。本研究では光の量子化法を根本から検討しなおし、この問題に対する一つの回答として、状態の空間発展を記述する量子力学の手法を提案する。この手法のいくつかの応用例や新しく生じた概念上の話題についても触れる。また、提案したQND測定系をこの手法で解析し、厳密かつ描像の明確な記述を行った。
以上、本研究の位置付けをまとめると、本研究は最近盛んになってきた光のスクイジングの研究に近いところに位置する量子光学の中の一研究である。スクイジングを新しい光の状態の発生の研究とすれば、本研究は新しい測定法の研究である。本研究の意義は、これまで提唱されていなかった光のQND測定の具体的な系を提案したこと、損失を考慮したQND測定の理論を展開したこと、実験的な問題点を洗い出したこと、および理論と実験のギャップを埋める新しい量子化法を提案したことの4つである。光のスクイジングの研究より若干進展が遅れているQND測定の研究分野において、おもに理論上の完成度を高めるのに貢献し、実験的には問題がどこにあるかという一歩を踏み出したものである。
1.2節 関連分野の研究状況
QND測定とスクイジングの研究は現在は近いところに位置しているが、出発点は異なる。ここでQND測定の研究状況をレビューする前に、スクイジングを含む量子光学の一般的状況をレビューすることも無駄ではないと思われる。
光のスクイジングはGlauberのコヒーレント状態
[15]
に対する一つの拡張である。
コヒーレント状態とは「振幅と位相の確定した古典的光に最も近い量子状態」である。
コヒーレント状態の光を直接検波、ホモダイン検波、あるいはヘテロダイン検波した場合、その光検波電流はショット雑音限界にある。
コヒーレント状態の理論をもとに、1967年にMollowとGlauberはより詳しい理論を展開した。
この中ではすでにコヒーレント状態を一般化した状態の一つとして、今日の言葉でいえばスクイズド状態とその性質について触れられている。
\cite{MG67a}\cite{MG67b}
それと前後して1965年には高橋秀俊が、
\cite{Tak65}
1970年にはStolerが
\cite{Sto70}\cite{Sto71}
それぞれ別の視点からスクイズド状態が存在することを理論的に示した。
高橋はパラメトリック増幅の量子雑音の理論的検討という物理からのアプローチ、Stolerはコヒーレント状態からある種のユニタリー変換で生成される状態の属という数学的アプローチをとった。
ただし当時はスクイズド状態なる述語は使われていなかった。
また、彼らの研究は単発で終わるかに見えた。
スクイズド状態の研究が本格的に一分野となる端緒となったのは、1976年にYuenが詳しい理論およびスクイズド状態発生に必要なハミルトニアンを具体的に検討した論文を発表してからである。
\cite{Yue76}
彼もまだスクイズド状態という述語は用いておらず、TCS状態({\underline T}wo photon {\underline c}oherent {\underline s}tate)と呼んでいた。
Yuenはもともと通信理論の研究者であるが、Shannonの古典的通信路
\cite{Sha48}
でなく量子状態を用いた通信路で相互情報量(チャンネル容量:送信し得る最大の情報量)の理論的研究をしていた。
その結果TCS状態を用いることによりチャンネル容量が飛躍的に増大できることを見いだした。
高橋秀俊も同様な理論を展開しており、特にパラメトリック増幅器を解析していた。
その後スクイズド状態の実験的発生を目指した理論がWallsらのグループを中心に出されるようになり
\cite{Wal83}
、スクイズド状態という述語が定着してきた。
1980年頃からQND測定の分野と合流し、研究者もオーバーラップするようになった。
1985年にはベル研究所で非線形媒質としてNa蒸気を用い、4光波混合により最初のスクイズド状態発生に成功した。
\cite{SHY85}
テキサス大学
\cite{WKHW86}
ではLiNbO$_3$ を用いて光パラメトリック増幅により最大のスクイジングを観測した
。以後世界の数カ所で発生に成功している。
\cite{SLP86}\cite{MKS87a}\cite{ORX87}
また、当初は電磁場の振動のcosineとsine成分の不確定量を不平等にした状態をスクイズド状態と呼んでいたが、近年もっと一般に光子数と位相の不確定量をアンバランスにした状態も含めることが多い。
そのような状態は光子数−位相最小不確定状態あるいはsub-Poisson状態などと呼ばれ、その発生法提案および実験がNTT
\cite{MYI87}
、ロチェスター大学
\cite{SM83}
、コロンビア大学
\cite{TS85}
などで行われている。
このような新しい光の量子状態は総括的に非古典的量子状態と呼ばれる。それはこれらの光が非古典的量子効果を持つからである。非古典的効果とは「古典的」量子効果に対する特異な現象である。
まず古典論(電磁場を量子化せず光電子が確率的に生起するという半古典論)でも説明し得る3つの効果、すなわちショット雑音、光電子統計のPoisson分布、光電子のバンチングについて述べる。
図~\ref{ショット雑音の古典論的解釈の図}
と
\ref{ショット雑音の量子論的解釈の図}
にショット雑音
\index{ショット雑音}
の古典論的解釈と量子論的解釈を比較する。
通常のレーザー光を光検出器で受けて電気信号に変え、その電流雑音の周波数成分をスペクトルアナライザで観測すると、光検出器の帯域内でショット雑音が生ずる。
古典論では以下のように解釈する。
光は振幅と位相を持った電磁場の振動であり、その振動状態は
図~\ref{ショット雑音の古典論的解釈の図}
(a)に示すように振幅と位相を精密に指定することにより定められる。
従って光ビームそのものには
図~\ref{ショット雑音の古典論的解釈の図}
(b)に示すように雑音はない。
しかし光検出器において光が電子に変換されるときに確率的にランダムに変換されるため、光電子電流にショット雑音を生ずる。
一方量子光学的にはショット雑音は次のように説明される。
光の振幅と位相の間にはHeisenbergの不確定性原理が存在するために、両者を精密に指定することはできない。
従って、光ビーム自身にはじめから振幅雑音と位相雑音が存在する。
その雑音の大きさは
図~\ref{ショット雑音の量子論的解釈の図}
(a)に示すように、cosine成分とsine成分の平面上の不確定領域で示される。
通常のレーザーから出る理想的な光は
図~\ref{ショット雑音の量子論的解釈の図}
(a)に示すようにcosine成分とsine成分の不確定量が等しいコヒーレント状態であり、図のように円形の不確定領域となる。
光ビームを
図~\ref{ショット雑音の量子論的解釈の図}
(b)に示すように直接検波した場合、古典論と異なり、ディテクターは雑音を発しないとする。
すなわち、電流の担体である電子の粒子性と電子の集合が生む電流の連続性は別であり、考えている帯域内でディテクターは光の強度雑音を忠実に再現するとみなす。
光がコヒーレント状態にあるとき、この電流雑音はショット雑音となることが示される。
実際の実験系ではレーザーや電気回路の熱雑音や回路雑音などが余計に存在するが、実験室レベルではこれらを抑えて、少なくともMHz以上の周波数範囲ではショット雑音が見えるに至っている。
\renewcommand{\baselinestretch}{1}\small
\begin{figure}[p]
\vspace{16.truecm}
\caption{{ショット雑音の古典論的解釈。}
(a)電磁場の振幅と位相を指定するcosine成分とsine成分の平面。古典論では光自身に雑音はなく振幅と位相が精密に指定できると考える。(b)光ビームの直接検波。ディテクター上で光子が光電子に変わるとき確率的にランダムに変わるためショット雑音が生ずる。}
\label{ショット雑音の古典論的解釈の図}
\end{figure}
\renewcommand{\baselinestretch}{1.5}\normalsize
\renewcommand{\baselinestretch}{1}\small
\begin{figure}[p]
\vspace{16.truecm}
\caption{{ショット雑音の量子論的解釈。}
(a)電磁場の振幅と位相を指定するcosine成分とsine成分の平面。量子論では振幅と位相の間に不確定関係があり、両者を精密に指定できない。従って光ビーム自身がはじめから振幅雑音と位相雑音を持つ。(b)光ビームの直接検波。ディテクターは光の強度雑音を忠実に再現する。光がコヒーレント状態にあるときその雑音はショット雑音となる。}
\label{ショット雑音の量子論的解釈の図}
\end{figure}
\renewcommand{\baselinestretch}{1.5}\normalsize
光を直接検波しスペクトルアナライザで雑音を観測するかわりに、理想的フォトマルチプライヤー(光電子増倍管)を用いて時間$\tau$ 毎にカウントされる光電子数を記録すれば、カウントされた光電子数のヒストグラムはPoisson分布\index{Poisson分布}となる。
図~\ref{光子数分布の例の図}
(a)にPoisson分布を示す。
図では平均値を2とした。
\renewcommand{\baselinestretch}{1}\small
\begin{figure}[p]
\vspace{16.truecm}
\caption{{光子数分布の例。}
(a) 時間的サンプリング。(b) 空間的サンプリング。(c) Poisson分布。(d) Boltzmann分布。いずれも平均光子数を2とした。}
\label{光子数分布の例の図}
\end{figure}
\renewcommand{\baselinestretch}{1.5}\normalsize
古典論では光電子増倍管で光が電子に変換されるときにランダムに変換されるためと説明される。
光源がレーザー光でなく黒体輻射の場合、光ビームを十分コリメートし分光器で単色光とし、かつ測定時間を光源のコヒーレンス時間に一致させると、量子論によれば光子数の確率分布はBoltzmann分布となる。
理想的光電子増倍管では光電子数分布は光子数分布に一致する。
図~\ref{光子数分布の例の図}
(b)に平均値2のBoltzmann分布を示す。
この分布は、光子がゼロ個カウントされる確率が一番大きいが、また多数の光子がカウントされる確率も大きい。
平均値が2の場合、7個カウントされる確率はPoisson分布では0.0034であるが、Boltzmann分布では0.0039である。
すなわちPoisson分布より粗密の差が一層大きくなり、光子はより塊って(バンチして)カウントされる傾向にある。
これはバンチング効果である。
以上の「古典的」効果は古典論でも量子論でも説明可能である
\cite{Lou73}
ので、それだけならば量子論を使う必要はない。
しかし古典論では説明できない場合がある。
例として図~\ref{光パラメトリック発振によるフォトンペアーの発生の図}に光パラメトリック発振によるフォトンペアーの発生を示す。
(a)は古典的描像である。
光パラメトリック発振で発生した信号光とアイドラー光は独立に強度を検出され、二つの検波電流の差を検出する。
信号光とアイドラー光には雑音はないとするが、二つのディテクターにおいて独立のショット雑音が発生する。
独立な白色雑音の差はパワーが足された白色雑音であるので、検出される電流はショット雑音の二倍のパワーの白色雑音となる。
ところが、他に何も余分な雑音がないと仮定すれば、これは誤りである。
(b)は量子力学的描像である。
光パラメトリック発振では信号光の光子とアイドラー光の光子が同時に発生する。
従って信号光もアイドラー光もはじめから強度雑音を持ってはいるが、その雑音には完全な相関がある。
ディテクターでは新たに雑音は発生しない。
従って検波電流の差をとると雑音は打ち消し合う。
\renewcommand{\baselinestretch}{1}\small
\begin{figure}[p]
\vspace{16.truecm}
\caption{{光パラメトリック発振によるフォトンペアーの発生。}
(a) 古典的描像。
二つのディテクターにおいて独立のショット雑音が発生する。
検出される電流はショット雑音の二倍となる。
(b) 量子力学的描像。
信号光の光子とアイドラー光の光子が同時に発生するので、雑音には完全な相関がある。
ディテクターでは新たに雑音は発生しない。
従って検波電流の差をとると雑音は打ち消し合う。
}
\label{光パラメトリック発振によるフォトンペアーの発生の図}
\end{figure}
\renewcommand{\baselinestretch}{1.5}\normalsize
これ以外にも、古典論では説明できないが量子力学で初めて説明できる事項がある。
たとえば(1)ホモダイン検波における雑音をショット雑音より下げることがスクイズド状態の光を用いてできる。
また、(2)スクイズド状態や光子数状態では光子数の分布がPoisson分布よりバラツキが小さいsub-Poisson分布となる。
これらはすべて古典論では説明できない量子効果であるので、「非古典的」量子効果と呼ばれる。
特にスクイズド状態は、Heisenbergの不確定関係を満たしたまま電磁場の振動のcosine成分とsine成分の不確定性をアンバランスにするものである。
したがってcosine成分のみを用いてsine成分を捨てれば、通信や計測においてショット雑音限界を克服することができるため注目されている。
しかし、cosineとsineのいずれかの成分を捨ててスクイズド状態を用いることは、両方を用いてコヒーレント状態の光で通信するより本当に有利か、また最も有利な光の状態は何かなどの疑問が生ずる。
量子状態を用いて情報の伝送や処理を行うとき、ただ一つの量子状態を用いてはできない。
「0」と「1」で作られるバイナリー信号(2進数信号)を考えれば明らかなように、最低二つは必要である。
二つの状態を等確率で用いるとき伝送可能な情報量はよく知られているように1パルスにつき平均$\log \ 2$ である。
通常の光強度変調方式では、光がある状態と無い状態の二つを用い、位相変調では位相が0と$\pi$ の二つの状態を用いている。
そのような光の状態としては現在発生可能な状態であるコヒーレント状態の光を使っている。
しかしコヒーレント状態は互いに直交していない。
その非直交部分に相当する確率で誤りを発生する。
このため平均情報量は $\log \ 2$ より少し小さい。
これを一般化し、用いる光の強度を一定とすれば、送り得る最大の平均情報量が計算される。
その値は送信光の量子状態(コヒーレント状態、スクイズド状態、光子数状態)と受信方法(直接検波、ホモダイン検波、ヘテロダイン検波)に依存する。
これらの通信の情報量を考察するのが量子通信理論である。
\cite{HLG60}\cite{Hol}\cite{Hel76}\cite{YS78}\cite{SYM79}\cite{YS80}\cite{YH86}
以上は光の「状態」が初めから持つ不確定量を制御しようとするものであるが、量子力学的不確定量は光の測定、吸収、分岐などによってもつけ加わる。
例として
図~\ref{光ビームの分岐によりつけ加わる光子数の不確定性の図}
にビームスプリッターによる光子流の分岐を示す。
入射する光は光子数が9個に確定した光子数状態とする。
ビームスプリッターの分岐比が50 \% ずつとすれば、透過光も反射光も古典的には光子数は4.5個ずつとなる。
これは不可能で、光子数は整数値をとる。
量子力学的にはビームスプリッターの反射率とは、一つの光子が反射する確率を意味する。
したがって透過光もしくは反射光の光子数は確定せず、二項分布の確率分布を示す。
これが光ビームの分岐によりつけ加わる光子数の不確定量である。
\renewcommand{\baselinestretch}{1}\small
\begin{figure}[p]
\vspace{16.truecm}
\caption{{光ビームの分岐によりつけ加わる光子数の不確定性。}
はじめ確定していた光子数は二項分布にしたがう確率分布となる。}
\label{光ビームの分岐によりつけ加わる光子数の不確定性の図}
\end{figure}
\renewcommand{\baselinestretch}{1.5}\normalsize
媒質の光損失がもたらす不確定量の増加も、ビームスプリッターの反射率を光損失と考えれば、全く同じである。
光通信では伝送路として用いる石英系光ファイバーはきわめて低損失であるが、それでも究極的低損失は0.2 dB/km といわれているので、たとえば15 km の長さで50 \% の損失を持つ。
この損失に伴う不確定量の増加を回避する方法は、伝送路の光損失を下げる以外にない。
一方「分岐」による光子数の不確定量の増加は避ける方法がある。
それは光子数のQND測定である。
光子数のQND測定とは、測定に伴う光の位相に混入する不確定量を許すかわりに光子数の不確定量を増加させないものである。
QND測定はもともと光の分野で発したのではなく、重力波検出の研究者であったモスクワ大学のBraginsky により1974年に提案された。
\cite{BV75}
重力波検出においては重力波を検出する機械的振動子の位置測定精度として10$^{-19}$ cm という精度が要求される。
\cite{CTD80}
この精度は振動子の量子力学的ゆらぎより小さいため単純な測定では重力波検出は不可能である。
Braginskyはそこで同じ物理量を壊さずに何回も測定するQND測定を提案した。
何回も測定し平均することにより各測定に無相関に現われるゆらぎを打ち消し、信号のみ積算して高いS/N比で測定することが可能となる。
Braginskyは機械的振動子、電気回路、光の組合せなどでいくつかのQND測定原理を提案している。
\cite{BVT80}
カリフォルニア工科大学のCaves も重力波検出のために、測定に課せられる真の量子限界を理論的に検討していたが、重力波検出に光干渉系を使うことを考え、1980年頃QND測定を光の分野に持ちこんだ。
\cite{CTD80}
またスクイズド状態の研究者であるWalls も同じ頃から光でのQND測定を検討し始めた。
\cite{MW83}
彼らはQND測定を可能とするハミルトニアンの形など、おもに数学的形式の議論を行っていた。
したがって光でQND測定を行う具体的な系については明かではなかった。
このような中で本論文の著者らは1985年に光カー効果を用いるQND測定系を提案した。
\cite{IHY85}
これは光カー効果により、光を吸収せずにその強度を屈折率の変化として読み出すものである。
この系がQND測定であることも理論的に証明された。
また、光子数の測定誤差、および位相にもたらされる測定の反作用の量も理論的に求めた。
また、実験的な問題点を探るため、光カー媒質として光ファイバーを用いた系で実験的検討も始めた。
\cite{IWS87}
1986年IBMでも光ファイバーを用いた実験が行なわれた。
彼らは光のスクイジングの実験で培った技術により量子相関を観測するところまで進んだ。
\cite{LSRW86}
しかし、媒質である光ファイバーの損失が大きいため、その系はQND測定とは見なせない。
IBMのグループは光ファイバーに導波性Brillouin散乱(GAWBS : {\underline G}uided {\underline a}coustic-{\underline w}ave {\underline B}rillouin {\underline s}cattering)が存在し、これが実験上の問題点になることを発見した。
\cite{SLB85a}
このGAWBS雑音は著者らの実験でも観測された。
QND測定というためには光の量子力学的雑音を測定する必要があるが、GAWBS雑音はそれを阻む。
実験的にGAWBS雑音の偏光特性や周波数特性などが分かってきたが、結論的にはGAWBS雑音のない高い周波数領域を使うかファイバー構造を変えない限り、GAWBS雑音を避けることはできないことが分かった。
また、最近レーザーをパルス動作させて光のスクイジングやQND測定を行う試みが検討されているが、
\cite{SGL87}\cite{SI88}
これに関連し、パルス動作のレーザー光を用いた場合のGAWBS雑音の現れ方についても著者らの実験により知見が得られた。
\cite{SI88}
ところでQND測定とスクイジングには共通点と相違点がある。
共通点は両者とも「二つの物理量に量子力学的相関を持たせる」という基本的操作があることである。
QND測定では測定する物理量とプローブ物理量との間に量子相関を形成し、プローブ系の測定(破壊測定でよい)を通じて元の対象を非破壊測定する。
スクイズド状態では消滅演算子$\hat{a}$ とそのエルミート共役量$\hat{a}^{\dagger}$の間に相関を形成し、振幅のcosine成分$\hat{a}_1 (\equiv {\hat{a} + \hat{a}^{\dagger} \over 2})$ とsine成分$\hat{a}_2 (\equiv {\hat{a} - \hat{a}^{\dagger} \over 2i})$ の不確定性を非対称にする。
\footnote{本論文では変数にハット「^」をつけて量子力学的演算子($q-$number)を表わす。ハットのついていないものは演算子でない普通の変数($c-$number)を表わす。}
量子力学的相関を持たせるために必要な光の相互作用は非線形光学である。
従って実験的に非線形光学実験の手法が必要となること、および理論的には非線形光学に電磁場の量子化を持ちこむ必要があることも共通している。
また光損失が障害となる点も同じである。
光損失のある系すなわち散逸のある系では純粋な量子相関以外に制御不可能な不確定性(雑音)が混入するからである。
相違点は光損失の影響の現れ方にある。
光のスクイジングは、出射光の光子数と位相の不確定性のどちらかがコヒーレント状態より以下でさえあれば、その発生装置が光損失を持っているか否かは問われない。
損失の存在は量子力学的相関を損ないスクイジングの効果を弱めるのみである。
しかしQND測定は「光子数を破壊せずに測定する」ことであるので、損失の存在は単に量子力学的相関を損なうのみならず、測定しようとする光子を吸収してしまう。
現在スクイズド状態が実現されているにもかかわらずQND測定が実現されていない理由はここにある。
スクイジングの場合、光損失によるスクイジングの劣化は理論的に分かっていたが、QND測定の場合、光損失を取り入れたQND測定の理論はなかった。
そこで著者らは光損失を取り入れたQND測定の理論を展開した。
\cite{IS89}
そこでは三つのことを扱っている。
すなわち、(1)一般に損失のある場合のQND測定をどう定義すればよいか、(2)またその定義に照らして、光カー媒質を用いたQND測定のために要求される媒質の光損失に対する条件は何か、(3)損失があるときQND測定であることの実験的な検証はどうすればよいか、の三つである。
この三点を理論的に検討した結果、まず現存の光カー媒質が(1)の定義によるQND測定の条件を満足することが分かった。
また、通常行なわれている相関測定実験でQND測定を間接的に証明しようとする場合、QND測定であることをいうために実験的に達成しなければならない相関の大きさも明らかとなった。
以上説明した光のQND測定の研究の歴史的背景を図~\ref{光のQND測定の研究の歴史的背景の図} に示す。
\renewcommand{\baselinestretch}{1}\small
\begin{figure}[p]
\vspace{16.truecm}
\caption{{光のQND測定の研究の歴史的背景。}
}
\label{光のQND測定の研究の歴史的背景の図}
\end{figure}
\renewcommand{\baselinestretch}{1.5}\normalsize
以上のように、光のQND測定は理論的にはかなり進展してきたが、実現には未だに困難がある。
実現のためには大きな非線形光学定数を持つ物質を用いること、ハイパワーの光源を用い、それを直接受光できるディテクターを開発することが必要である。
しかし量子非破壊測定が真にその意義を発揮するのはむしろハイパワーでない光の検出においてであろうから、研究はハイパワー化の方向よりは、大きな非線形光学定数を持つ媒質の開発の方に向けられるべきであろう。
この方向の研究は、QND測定とは別にもっと一般的見地から、最近活発に行われている。
QND測定自体の研究としては、最近報告される研究には理論的なものが多い。
QND測定における相補性原理の理論
\cite{SM88}
や、光カー効果以外、たとえば$\chi^{(2)}$ を用いるQND測定の提案
\cite{SL88}
などである。
これからの進展について予測するのは難しいが、QND測定の原理実証だけならそう遠くない将来に行なわれるであろう。
QND測定の本格的応用にはさらに時間がかかるであろう。
光計測における測定精度の向上の鍵となるのは非線形定数が大きく損失の少ない媒質の開発であろう。
QND測定は原理的にも応用上も重要な概念であり、今後の研究の進展に期待されるものは大きい。
1.3節 本研究の目的と概要
\hskip 0.6truecm 本研究の目的は光子数のQND測定を実現する具体的な系を提案すること、散逸のある場合の光子数QND測定の概念を提示すること、その場合のQND測定条件を理論的に明らかにすることにある。
そのために付随する理論的基礎付けとして空間的に発展する光ビームの量子化法、および実験的検討として光ファイバーを用いた実験系の検討もあわせて行う。
主な内容を列挙すると以下のようになる。
\begin{enumerate}
\item QND測定装置として光カー媒質を含む干渉計を提案し、その動作の解析を行う。
これをQND測定の一般条件に照らしあわせ、提案した系がQND測定であることを証明し、さらに光カー定数などの物質パラメーターの関数として測定精度を解析する。
\item 光カー媒質に損失がある場合のQND測定を解析する。
まず損失をともなうQND測定の一般条件を提議する。
次に損失を有する光カー媒質を用いたQND測定装置の測定精度を解析し、一般条件に照らしあわせ、QND測定となる条件を求める。
これによりどのような光カー媒質がQND測定に有利かが予測される。
\item 光ファイバーを用いた実験系を構成し、その特性と問題点を明らかにする。
\item 以上の解析を行うにあたり、空間的に発展する光ビームの量子力学的取扱いを厳密に定式化する。
\end{enumerate}
本論文の章構成は、以上の内容の順番に沿っている。
図~\ref{本論文の構成の図}に本論文の構成を示す。
\renewcommand{\baselinestretch}{1}\small
\begin{figure}[p]
\vspace{16.truecm}
\caption{{本論文の構成。}}
\label{本論文の構成の図}
\end{figure}
\renewcommand{\baselinestretch}{1.5}\normalsize
\ref{量子非破壊測定(QND測定)の一般論の章}では準備としてQND測定の一般論を説明する。
これは
図~\ref{光のQND測定の研究の歴史的背景の図}
の歴史的背景に示した「QND測定の条件などの一般的議論」を本論文に適した形に再構成したものである。
そこではQND測定のいくつかの定義とその意味、QND測定可能な物理量の条件とQND測定を可能にする相互作用の条件について述べる。
\ref{光カー効果を用いた光子数のQND測定の理論の章}では光カー効果を用いた光子数のQND測定法を提案し、その原理およびQND測定となることの証明を行う。
また、達成し得る測定精度と、光子数を非破壊測定する代償として加わる位相の不確定量などについて詳しく論じる。
\ref{損失を伴う光子数のQND測定の理論の章}では光損失がある場合の光子数のQND測定を理論的に扱う。
まず損失(散逸)がある場合の光子数のQND測定について一つの定義を与え、その一般的成立条件を求める。
つぎに、\ref{光カー効果を用いた光子数のQND測定の理論の章}で提案した光カー効果を用いる系において、光損失がある場合の測定誤差を解析する。
これを一般的成立条件に代入することにより、光カー定数、損失値、光源強度に対する条件を導く。
以上は光カー媒質に要求される性能であるが、次に、実験上QND測定を示すために測定すべき量を考察する。
例として相関測定実験における実験目標を明らかにする。
\ref{QND測定系の実験的検討の章}では光カー媒質として光ファイバーを用いた実験系を構成し、その特性を実験的に調べた結果について述べる。
光ファイバーを含む干渉計の一つの問題点である不安定な動作の解決のために経たマッハツェンダー型干渉計、リング型干渉計、変形リング型干渉計の三つの干渉計による光カー効果の確認実験を述べる。
また、全系の雑音特性を述べ、QND測定を目的とした場合の問題点を明らかにする。
またこの装置を用いて光ファイバーの光カー定数の測定について述べる。
特に光カー定数の偏光依存性についても触れる。
\ref{空間的に発展する光ビームの量子力学的取扱いの章}では空間的に発展する光ビームの量子力学的取扱いについて述べる。
その目的は、量子光学における理論と実験の描像上のギャップを埋めることにある。
従来の量子化法では光共振器の空間的モードで電磁場を展開し、その展開係数を演算子とみなして時間発展を記述する。
このような記述で非線形光学効果を記述すると、二つの(複数の)共振器モードの間の時間的結合方程式が得られる。
この方法は、非線形光学媒質内を変化しながら進む光ビームの空間的結合方程式で表される現象の記述に適していない。
このような問題に対する取扱いとして、通常の量子化で時間$t$ と空間$z$ の立場を入れかえた方法を定式化する。
また、いくつかの応用例を通して、この方法の使い方が相互作用に関わらず統一性のあることを見る。
すなわち相互作用による摂動分極を古典的に求め、それを空間発展の生成作用素とみなして波動伝搬を解くという手順である。
線形媒質や非線形媒質などを伝搬する光ビームの解析など、種々の応用について述べる。特に\ref{光カー効果を用いた光子数のQND測定の理論の章}と\ref{損失を伴う光子数のQND測定の理論の章}で展開した光カー効果についてはもう一度この章の方法を用いて記述し、実験系に即した雑音のパワースペクトルを求める。
\ref{結論の章}では結論として本研究の内容、意義を総括し、また、この分野の将来展望についても触れる。